2015/03/22

「何もしないということ」

何もしないということについて考えている。何もしないことが無意味なことだとしたら、私は無意味に生きてきた。
しかし、何もしないこと、それは創造的だと思う。昔は、何もしない人間がもっといたものだ。そういう人達が見えなくなった。そして、詩も哲学も芸術も見えなくなった。
蜜蜂の社会にも、何もしない蜜蜂たちが存在する。試しにそれを蜜蜂の中から取り除いてみると、また何もしない蜜蜂たちを作り出す。脳細胞は、その何割かは何もしない。しかし、その何割かの脳細胞が無かったら、脳全体は活動しないだろう。
蛸は、海底で庭を作る。自分の住処の前をきれいにととのえ、小石を並べて美しい庭を作る。敵から住処を見つけられる危険があるというのに、無駄なことをあえてするのは何故か。何もしないことと同義である。
蜘蛛は、自ら出した糸に掴まり、偏西風に乗って一万メートル上空を大陸から大陸へ自由に旅をする。寒さにも飢えにも耐える体と意思とで、死を覚悟で旅をする。
人も同じような旅をする。何故と聞かない方が良い。無意味なことも、無駄なことも、何もしないということも、生きるものとして、死滅に向かわないための方法なのだから。(アーティスト)
                                                         
                                                          『武蔵野ペン160号』 長澤英俊 寄稿 2015/3